Wednesday, May 17, 2006

肘内障 pulled elbows

研修医の頃は、肘内障の整復は、前腕を屈曲しながら回外と教わり、その通りに実践。3,4例くらいの経験しかないのだけど、失敗は、ゼロです。でも、整復 後もお子さんは、痛いかと思って、なかなか腕を動かしてくれないものだから、判定がはっきりするまで、結構ドキドキものなんですよね。オーベンの先生から は、自分の子供が肘内障になったとき、「パパ、お医者さんに連れてってー!」と泣かれたというお話を伺ったこともあります。まあ、お母さんの信頼を勝ち得 るためには、必須の技術とも言えるでしょう。その方法が、実は、回内のほうが成功率が高いらしいという記事がありました。きちっとしたRCTはないのですが、バイオエンジニアリングで臓器を作り出せる時代に、意外なことが決着ついてなかったりするもんです。

Thursday, May 11, 2006

医者が尊敬されなくなった理由

 タイトルは、日本醫亊新報の5 月6日号の巻頭のエッセーのものである。私などは、逆に、何故医師が尊敬されなければならないのか分からない。医学部を終えて一番為になったのは、「医師 が普通の人間である」と知ったことだろう。尊敬されるべき人間では決してないし、権威が弱まったということであれば、医者に限ったことではなかろう。政治 家、父親、教師、警察...すべての権威が失墜しているのである。これは、東京オリンピックの年に梅棹忠夫さんが発表した『情報産業論』で描いた精神の産 業化、後に情報革命と呼ばれるものの余波の一断面に過ぎないのだと思う。ある知識体系が、断片化し、流動性が高まり、非対称性が薄れてきていることの証左 であろう。また、すべての分野において知識が、個人の能力を凌駕して、増殖しているのである。平たく言えば、タネを明かされたり、タネに振り回されている マジシャンのようなもので、すっかり、ピエロになってしまったのである。そして、そのタネ明かしの立役者が、Appleだったり、Googleだったりす るわけだ。
 象徴的なのは、やはり、911だ。 アメリカン・ドリームの国が、風船爆弾に次いで、史上二番目の本土に対する攻撃を受け、その瞬間を世界に晒したわけである。つまり、世界最強といわれる国 家の権威が失墜したのである。しかも、相手は、ロシアでもなければ、中国でもない、テロリスト(歴史の進みようによっては、ゲバラの再来と記されるように なるかもしれないが...)のネットワークだったのだ。想像の域を超えないが、彼らは、Googleなどを最大限に利用したことだろうし、連絡には電子 メールのやりとりをしたのだろう。そして、遂にはBig BrotherならぬBig Appleに鉄槌を食らわせたわけである。そして、その動機は、IT時代には似つかわしくないが、オルテガ・イ・ガセーのいう「怨念」であろう。911を予言したと噂されるメキシコの歌手、リカルド・カルホナの「救世主」という歌がある。確かに歌詞原語) は、驚くほど、的中している。しかし、実際には、予言と言うより、世界最大の貧富の差が大きな国境と言われている米墨の国境の南での怨念に、これまたオイ ルダラーで潤った一族の放蕩息子が裕福であるゆえの知識でその怨念を共有し、実行に至ったというほうが正確だろう。「怨念」がマスコミやIT技術を介して 伝播したのである。さらに情報革命は、"iPod"から"YouTube"へ、「個人の壷」から「共有のチューブ」へ伸展しつつある。先の歌もビデオつきで公開されている。ネットのこちら側ではこけた共産主義が、あちらでは、現実味を帯びてきているのだ。コンテンツの共有には、その道具のコストを下げたオープンソース思想が大いに貢献している。
  そんな革命の途上、医師患者関係はどのように変遷していくのかが、本投稿の主題である。おそらく10年もしないうちに医学生が大学で学ぶことぐらいの知識 は、無料でネット上に公開されることになるだろう。実際、日常診療でも、専門外のことは、医者より患者様のほうが詳しいということも珍しくなくなってきて いる。中途半端で、偉そうな医者は、「大衆の怨念」により、絶滅していくだろう。そして、100年後に生き残っているのは、知識の生産者としての医者以 外、つまり、知識の消費者である臨床医は、ディズィーズ・ランドへのツア・コンダクターとニンテンドーサージェリー(内視鏡手術をこう呼んだことがあった が、今後は遠隔からロボットの手を操作して手術する時代が来るだろう。)におけるゴッドハンドを有するカリスマ・ゲーマーに二分していくのではなかろう か。(詐欺師としての医者も生き残るかもしれないけど...)私には、残りの人生、前者に進化していくしか道がない。

Tuesday, May 9, 2006

時間を無駄にしなくなる3つの考え方

「時は金なり」という諺を引くまでもなく、時間の重要性は感じている。しかし、実践するとなると、別問題で、ついつい無駄遣いしてしまうものだ。そこで、その言い訳と対策を考えてみた。

  1. 時間の終わり、「死亡年月日」が不明。→60歳になる前日で死ぬと設定する。
  2. 時間の単位が10進法ではない。→誕生日から過ごした日数を実感する。私の場合、今日で14,883日目、カウントダウンするなら、あと7,031日。
  3. 季節が巡り、繰り返しの錯覚に陥る。→干支で考える。今年は、丙戌。60歳で死ぬなら、同じ年は巡ってこない。

それにしても、子供のとき、学生時代、研修医時代と比べて、時間感覚が短くなっている。死ぬときに人生が走馬灯のように巡ると言うのは、その時間感 覚の極致なのだろう。個人の時間感覚を測定、数量化できれば、死亡日時の推定が予測可能かもしれないと夢想したりする。しかし、大切なのは目覚めた日が、 残りの人生の初日であるということだ。同時に、今までの人生の最後の日かもしれないということだ。Apple CEOのS. Jobbsに言わせれば、「毎日、そう思っていると、必ず最後には的中する」ことなのだが...