Friday, June 18, 2010

中身も大事


見栄えも大切だけど、中身も大事ってことで、Dockyに下のソフトを登録した。
  • Amarok: iTunesみたいなもの。医学雑誌のポッドキャストも視聴できる。
  • Mendeley: 文献管理ソフト
  • OpenOffice.org: オフィスソフト
  • R: 統計解析ソフト
なぜか、これらのソフトの頭文字が、AMORになってる!

見た目は大事

気分転換にデスクトップを変えてみました。利用したリソースは下記の通り。
  1. Mac4Lin: デスクトップをマック風にする。
  2. Real-time Sunlight Wallpaper: 壁紙をリアルタイムに代わる地球の画像にする。
  3. Conky + conkywizard: システム情報を表示する。
これで明日から少しは仕事が捗るかな?

Friday, June 11, 2010

【書評】病院の世紀の理論

表紙は、湯布院にある国指定重要文化財「旧日野病院」の銅版画による全貌である。まさに、日本の医療を黎明期から現代に至るまで、英国や米国と対照しつつパースペクティブに描いた本書に相応しい図案である。

明治時代からの医師の育成と配置を再現し、「病院の世紀の理論」を提唱している。その理論とは、20世紀の医療は、世界同時的に治療を目的とする病院を頂点としたヒエラルキーであったということである。過去形で述べられていることからも分かる通り、現在は、必ずしも治療だけを目的としない様々なチームが連携して医療を行うフラットなネットワークに移行していく過程であることを指摘している。その理論は、医師数さえも把握せずに医師の偏在を強弁した厚生労働省とは異なり、豊富な図表を元にした、人口歴史学の医療版と言っても差し支えないような精緻な論考を元にしている。

結論は、目から鱗。私自身、「医療崩壊」が医師患者関係のフラット化によってもたらされていると考えていたが、近視眼的であった。医療システム自体がダイナミックな変貌の最中にあるのだ。だから、巷で「医療崩壊」と呼ばれるものは、正確には「医療革命」と言うべきなのだろう。そんな理由からか、「医療崩壊」については、控えめに医局制度の破綻のみを論じている態度が、いい加減なことを声高に訴えるマスコミの態度に比べ好感が持てる。著者のブログはこちら→「猪飼周平の細々と間違いを直すブログ

Saturday, June 5, 2010

Google Chart ToolsでTeX

周回遅れのネタの気もしますが、Google Chart Toolsでchart typeのオプションをtxとすると、TeXの記法で数式を出力できるようです。
http://chart.apis.google.com/chart?cht=tx&chl=\LaTeX{}=\frac{-b \pm \sqr {b^2-4ac}}{2a}&chof=png
注意点としては、"+"がurl内で特別な意味をもってしまうため、"%2B"で表記しなければならないことがあります。TeX自体の記法については、バイブルの右掲本を文字通り座右に置くのもいいし、ネット上にも「LaTeXしよう!」などのリファレンスを参考にして頂いても良いと思います。

Thursday, June 3, 2010

OSとブラウザのシェアをGoogle Chart Toolsで描く

WinとMacが減少しLinuxが増加、5月OSシェア」と「Firefoxのシェア下落に転じる、5月ブラウザシェア」の記事を読んで、Google Chart APIを使ってグラフを作ってみることを思い立ちました。今まではグラフを作る時はRを利用することが多かったのですが、そんな頻繁なことでもないので、覚えられなくて、その度に右のような本を参考にしなければなりませんでしたし、そういった作業は仕事の空き時間にやることが多いので、オンラインツールの方が使い勝手がいいのです。参考にしたのは、日本語の「Google Chart API入門」とまだ日本語化されていないGoogle謹製の「Google Chart Tools」のページ。



http://chart.apis.google.com/chart?cht=p&chd=t:91.28,5.27,1.13,2.32&chs=350x180&chl=Windows|Mac|Linux|その他&chtt=2010年5月OSシェア&chof=png

http://chart.apis.google.com/chart?cht=p3&chd=t:59.69,24.35,7.05,4.77,2.43,1.71&chs=350x180&chdl=IE|Firefox|Chrome|Safari|Opera|その他&chtt=2010年5月ブラウザシェア&chof=png
作ってみて知ったことをメモしておきます。
  • 必須のオプションは、cht、chs、chd。それぞれchart type、chart size、chart dataの略。
  • 円グラフの場合、cht=pとする。pieの略。3Dにしたい場合、cht=p3とする。
  • chsは、<幅(単位はピクセル)>x<高さ(単位はピクセル)>で指定。制限があって、幅×高さの合計が300,000ピクセル以内、幅及び高さの最大ピクセルが1,000ピクセル以内。
  • chdでデータを指定するとき、テキストデータっておまじないが必要。chd=t:1,2,3...って感じ。
  • ラベルは、chlで、凡例(legend)は、chldで指定。
  • タイトルはchttで指定。chart titleの略。
  • 出力形式は、chofで指定。 chart output formatの略。
でも、結局、大量のデータを処理するときには、Rが必要なので、TPOに合わせて使い分けることになり、何か座右の参考書一冊は必要になります。

Wednesday, June 2, 2010

岩上安身氏のつぶやきまとめ

権力と対峙するというレトリックを誰しもが使う。けれどもその中身は一致していない。権力関係を整理すると、第1権力(政治、国会議員による内閣)、第2権力(行政府、官僚)、第3権力(司法)、第4権力(マスコミ。記者クラブメディア)、第5権力(特権を持たない大衆)とすると、第5は第1しかコントロールできないので、本来なら第1を支持して第2を監視すべき。ところが第2は巧妙に背後に隠れつつ、第3(検察)、第4(記者クラブメディア)まで総動員して、自らの意思を押し通しながら、巧みにすべての責任を第1に押しつけつつ、その力関係と演出によって、第5の、第1に対する期待を粉々にすりつぶし続けた、といったところ。本来なら、第3(司法)は中立でなくてはならないし、第4(メディア)は、第5(大衆、国民)の立場に立って、何よりも第2を監視・批判し続けなくてならないが、どちらもその機能を果たしていない。それどころか、己の本分を忘れ、ひたすら第1を叩き、第2に奉仕し続き。圧倒的な第2権力とその追随者の前に、第1権力は風前のともしび。国家権力とは、本質的に第2権力、すなわち官僚機構のこと(軍部官僚も含めて)。議員とはその批判者、監視者として我々一般有権者が送りこむ代表者であるべき。民主党政権はそうした批判者として立ち現われたものの、敗色濃厚。この国家の本当の権力のありかをめぐる戦いが続いてきたが、政権選択をした去年の夏の時点での一般国民(第5)の願いや期待とは裏腹に、第2・3・4連合による第1の駆逐は進みつつある。同時に、第1の一部「飼育」と、第5の大半の怒りを第1にのみさし向ける巧妙だが強引な誘導も。こうした権力の野合が成り立つのは、その基盤に岩盤のような共通プラットフォームがなくてはならない。どこから掘っていっても、たどりつくのは戦勝国アメリカの間接支配の現実。それこそが民選政府の政策を、この国の官僚やメディアや司法が躍起になってつぶしにかかる、秘められたる理由。

現内閣の批判をすべきではない、などと言ってないない。だが、現内閣への失望を異様なまでに増幅しているのはどこの誰なのか。普天間の辺野古への移設を決定した日の翌日の朝刊。ある大手新聞は「この責任はすべて鳩山首相にある」と断じていた。官僚には?メディアには?責任はないと?米国の意を受けて、辺野古に持っていくために全力を挙げていたのは、間違いなく防衛省、外務省の官僚。そして大々的なキャンペーンを張ったメディア。結果は彼らのほぼ望んだ通りの結果に。なのにその瞬間に生まれる大衆の不満や失望の矛先を、破れた鳩山内閣の責任に転嫁。ものすごいロジック。鳩山政権を批判した新聞のレトリックは「沖縄をその気にさせた」というもの。では、鳩山の誘惑に沖縄県民がふらふらとのぼせて調子に乗って身の丈以上の要求をしたとでも? 国土の1%にも満たない土地に75%の米軍基地が集中している現実は幻とでも? 沖縄県民に対する恐るべき侮辱。「洗脳」と言う言葉は、安易に使うべきではないが、こうした常軌を逸した誘導が行われているときには、やはり「洗脳」だと、断じるべきだろう。僕らは新聞報道に頼らざるを得ない部分もまだあるが、選択的に読む必要がある。朝からシャワーを浴びるように朝刊を読む習慣はもはや改めるべき。鳩山政権への失望を、政党政治そのものへの「失望」やニヒリズムにまで拡大しようとするのが、「優秀な官僚制度は、未熟な民主主義に勝る」という論理。たとえば立花隆氏に代表されるような。私が最も恐れるのは、こうした大衆に無力感を植え付ける様な「虐待」的なニヒリズム。そこらじゅうにこうした無力感を植え込むレトリックがあふれていることに注意を払おう。「政治家の質の低さは、その国の国民の程度の低さ」であるとか。子供を支配し続けようとする親は、繰り返し無力感を植え込む。暴力は単なる憂さ晴らしではなく、隷従のための手段である。虐待された子供は、鬱憤のはけ口に、似たような境遇にある兄弟や姉妹をいじめてしまうことが。日本が小中華主義・小帝国主義に陥ったことも忘れるわけにいかないが、ニヒリズムに陥った国民が、自分たちの似姿でもある政治家を叩くことに狂奔し、真の権力のありかに目を向けない事も同様の作用。自民党政権末期、内閣は1年ともたず、繰り返し取り替えられ、今また選挙で選ばれた鳩山内閣が愛想を尽かされつつあるとき、それでも僕はデモクラシーを擁護する。失望はするが、絶望はしない。怒りはあっても、抑制し、範囲を限定する。自虐に陥らない。どれも虐待する「親」の思うつぼだから。政治家は責任をとらなくてはならない。しかし、政治家だけに責任のすべてを負わせようとするのは、大きな、そして愚かな間違いである。第2から第4、行政・司法・報道という権力の可視化による国民の監視が急務。その背景にある米国の権力の可視化もまた。日本の大学には米国研究の講座もない虐待からの脱出のためには、自身が虐待を受けている事実を直視させ、そのみじめな現実を受け入れさせないと。しかしそれほど困難な精神の営みもない。

占領期、「日本人は12歳の子供だ」と言ったマッカーサーを「父」のように思いなした当時の日本人を責められるか?占領期の日本人には、米国の支配を受け入れ、マッカーサーを崇めるしかなかった。マッカーサーが去る時、「もっと日本にいて統治してください」と懇願した日本人が多数いた。敗戦のPTSDを癒す過剰適応。だが、もうそんな呪縛から解放されるべきだ。日本人は自己統治できない子供ではない。もう少し正確に言いなおすと、我々日本国民は、不条理な権力の行使に隷従している怯えた被虐待児童ではない。過ちも犯したが、永遠の処罰に耐えなくてはならないといういわれはない。私は反米主義者ではないが、横暴な支配からの離脱は求める。国内の各権力の制御も、国民の手にゆだねるべき。鳩山政権の「落城」に落ち込んでいる暇はない。この秋に策定される「防衛大綱」は、「日米同盟の深化」と言う名前の「米国への軍事的隷従の深化」が進む可能性が高い。放送法の改正のような言論統制も、その1ピースをなす。自己統治ができる国へ。やるべきことは山のようにあるはず。