Wednesday, June 18, 2014

クアトロ・ラガッツィ

楠木建先生の「戦略読書日記」で知った『クアトロ・ラガッツィ』、イタリア語でQuattro Ragazzi(4人の少年)という意味で、1582年の天正遣欧少年使節団の少年たちを指す。1582年という年は、キリスト教が伝えられた1549年と幕領内での禁教令が交付される1612年のちょうど中くらいに当たる。そして、欧州では、宗教改革、対抗改革、トリエントの公会議とカトリック教会の激動の時代であり、日本は戦国時代から江戸幕府による統治への移行期であった。奇しくも、イエズス会が創設された1534年は、織田信長の生年でもある。生年で言うと、フィリピンの由来となるフェリペ2世は1527年、バージニア植民地の由来になるエリザベス1世、スペインからの独立戦争の中心となったオラニエ公ウィレム1世は、1533年生まれである。いかに短期間に歴史を左右する人間の誕生が集中していた時代かが伺える。しかし、作者がスポットを当てたのは、4人の王ではなく、名も無き4人の少年たちであった。一方、帝国側の無名の人々の立身出世は、セルバンテスの小説「ドン・キホーテ」にある諺が物語るように、"Iglesia, o mar, o Casa Real" (教会か、海か、王宮か)であり、多くの宣教師、商人、役人たちの姿が描かれている。 後知恵で歴史を見る我々とは違い、その最中にある無力な人々が必死に生きる姿こそが、混沌における人間のあり方なのだと実感できる。歴史を比喩するのに引き合いに出される川の流れも、滝だとか渦だとかが目を引くのだが、実のところ水そのものの存在がなければ、成り立たないのと同じことだ。そう言えば、16世紀のスペインの無名の船員がパラグアイ川の蛇行に名づけた "Vuelta Formosa" がアルゼンチン最北の州名となり、同じ頃、やはり無名のポルトガルの船乗りが "Ilha Formosa" と名づけた島が、台湾の別称として残っている。王の名でも聖人の名でもなく、美しい自然に触れた純真な感動から発した言葉が地名となっているのは、何か示唆的である。(しかも、お互い対蹠地!)宗教やイデオロギーの理念を超えて美しいものに対する感動で世界が連帯する歴史の終焉はいつのことになるのやら…